02/17のツイートまとめ 

kuniko16096864

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02-17 17:58

02/06のツイートまとめ 

kuniko16096864

あと2日と20時間ちょっとで開幕⛷️🏂
02-06 23:34

「スロヴァキア熱 言葉と歌と土地」 石川晃弘著 

小中高を通しての苦痛といえば、夏休みの宿題の読書感想文だった。

それなのに、石川先生のお書きになった

「スロバキア熱 言葉と歌と土地」


の感想を書く気持ちになったのは、
スロヴァキアの観察を継続されている、
その忍耐強さを称えたいからだ。


この本は2006年に初版発行。
ということは、もう10年前に出版されていたのか。

なぜ?私の手元に今頃たどりついたのだろうか?
もっと早く知っておいても良かったはずなのに。














石川先生の名前は、ずいぶん前から風の噂で聞いていた。

かれこれ20年前だったか?
近重亜郎さん(当時は若い学生さん)と、日本大使館で行われた新年会でお会いし、
東スロバキアのプレショウ大学で、ルシン民族の研究をしていると伺った。

彼の教授が石川晃弘先生だというのを、後々知ることとなる。

その当時は、まだ今のように、インターネットでなんでも知ることができる時代ではなく、
「石川さん」といえば、私の知っている世界では、宇都宮のスロヴァキア好きの石川英一さんでしかなかった。

その石川英一さんだって、今や在日本のスロヴァキア名誉領事である。

話を戻すが、

石川晃弘先生には、実はまだお会いしたこともない。
10年以上も前から、お名前だけは知っていた。
今年に入って、巡り巡って、やっとつながることができた!
そして、チャンスあらば、ぜひお会いしたい!!

スロヴァキアについて語り合いたい!!!


著者は、私が生まれる前に、スロヴァキアに足を踏み入れた先人である。

スロヴァキアに本拠地を置いたわけでもないだろうに、
実に、国というより、民族を良く知りつくしている。

それだけ、足繁く通い続けた、ということがわかる。

「「スロヴァキア熱」は、テーマが13章に分かれている
素晴らしい点を書き留めておきます。


第1章
歴史の流れや、周辺国の特徴をよく捉えているので、
他国との比較が理解しやすい。

第2章
民族については、島国の日本人には理解しにくい問題に触れていますね。


第3、4章 
音楽、民謡を通して、日本との文化的な違いがわかる。

日本に紹介されている
「おお牧場はみどり」の訳の内容から、
国民性の特徴を説明している。
私もそう思っていた。頷く。

未だに、スロヴァキアは、
「共産主義だった貧しい国」

という印象を持っている日本人も多いはず。

しかし、本当は歌と踊りが大好きで、どちらかといえば、
明るくラテン系?と錯覚してしまうような、

前向きで、明るく、健全なものの考え方をする民族だという真髄を、
しっかりと見透かしている。


石川先生、すごいですよ!!




以降の章は、いろいろな人との出会いがあったり、
調査、観察しているのが良くわかります。

第5章
生活と価値観は、夫が言う通りの言葉が並んでいます。

スロヴァキア人が大切にしているのは、金でも富でもないのです。
石川先生の周囲も、素朴な人が多いのでしょうね。
私の周囲と同じ価値観なのです。

そうそう、公共の交通機関に乗る都度、席を譲ってもらったのを思い出しました。
子供と一緒に乗ると、カバンから飴やバナナを出して、子供をあやしてくれる、
魔法使いのおばあさんに出逢ったり、
昇降口まで降りてきてベビーカーを持ち上げ載せてくれる若者に、何度も助けてもらったなぁ。





古き良き時代ばかりが書かれているわけではなく、
現在の変化も記されているので、それにも頷ける。
都会の生活、個人主義を受け入れだした。


それでも、
「大多数の人々が支持している価値は、富、金銭、権力、地位といった実利的価値よりも、
愛と家族と道徳であり、労働と教育である。」

と書いてある。私の周囲はまさにこの通りだ。





このブログの名前でもありますが、
私はスロヴァキアが好きなんですよ。


「なんでスロヴァキアが好きなんだ?」


と聞かれたら、

それは、この「スロバキア熱」に詰まっているんです。
ぜひ、読んでみてください。


そう回答しておきましょうかね?!


スロヴァキアが好きなんて、マイナーな変人、私だけじゃないんだ。
うふふ。


石川先生が、スロバキアではなく、スロヴァキアと表記したことに、感服。


それから先生、
「スロヴァキア熱」というより「スロヴァキア愛」ですね

柔軟な先生の「心」と「頭」に感謝です。
素敵な本を、この世に送り出してくださり、ありがとうございます。


ぜひ、お会いしましょう!!



ポンセより。

9月13日(水)レボチャにて 日本人演奏者によるオルガンコンサートがあります!! 

前日の緊急告知ですみません。
なんでもそうですが、善は急げ!
肝に銘じて、このブログを書いています。

では、まずコンサートのお知らせから。

koncert-676x932.jpg

来る9月13日(水)それは明日です!

私の大好きなスロバキアの町、レボチャ(Levoča)にて、オルガンコンサートがあります。
そして、演奏者はなんと!日本人の米沢(鏑木)陽子さんです。
演奏は、旧姓の米沢で活動されているそうで、表示もローマ字で2つの苗字が表記されています。

現在は東京純心女子大学の教授で、カトリック山手教会(横浜教区司教座聖堂)及び、
カトリック聖アンセルモ目黒教会オルガニストとして活躍中です。


今回、旅行手配でお世話をすることになり、いろいろと背景をうかがい、
驚きと感動が入り交じった。

なんと1991年に、スロヴァキアの3か所で、オルガン演奏をしたそうだ。

私が初めてこの国に入ったのは、1989年の5月。まだチェコスロバキアだった。
これは仕事で、添乗員のアシスタントとしてハンガリーやチェコを旅行しただけ。
あの時に風景を考えると、陽子さんにとっても一生の思い出に残る旅行だったに違いない。

特に名前を記しておくべきは、
演奏だけでなく、円滑に旅行できるようにスロバキアの教会関係者に連絡を取った、
リュドヴィット・スカーン神父様。←スロバキア語ですがぜひクリック!!

2005年に日本の別府で亡くなっていますが、この↑のホームページによると、
1998年にスロバキア共和国文化省より、日本のスロバキア宣教師3名がキリスト教、ヒューマニズム、
スロバキア文化の普及を長期的に普及させた功績として、銀メダルを授与された。
そのうちの一人がスカーン神父様でした。


そして、今回の陽子さんのコンサートは、いろいろな方々の温かい協力により、
紆余曲折を経ましたが、それでもとんとん拍子に決まりました。(私の感想です)


1991年の演奏旅行について、
陽子さんは「スロヴァキアのオルガン事情」という文章を書いている。
この内容を皆さんにご一読して欲しい。




コンサートのプログラムは上記の通り。
演奏は明日。
素晴らしいものに違いない。





自転車と私 

昨日に続いて、本日も連投!!

なんだか眠れないので、こんなことを書いてみようかと思い立った。
もしかして、この話、以前にしたかもしれないけれど。



今日、次男坊のナタンが「自転車で遠出がしたいなぁ。」とつぶやいた。
スロバキアでは、子供同志で隣村まで行く事はできない。

「町(村)を出ました」の意味で、町名(村名)に赤い斜線が引いてある看板から、
車のスピードが時速50kmから90kmに上がる。

ビュンビュン飛ばす車の横を自転車を走るのは、とても危険。
自転車も車両として、町を出ると、車と同じルールで走る。

だから、町の外を走ることができるのは、15歳から。
大人が一緒なら可能なのだが、同級生と一緒にサイクリングで遠出はできないのだ。

そっか、スロバキアって、そういうところが不便なんだ。
と、今のナタンと同い年だった自分ことを思い出した。


当時の船橋はとても田舎で、飽き飽きしていた私は、
夏休みに暇を持て余し、


「そうだ、横浜に自転車で行こう!」と思い立った。

一緒に行ってくれる友達は、仲良しクラスメートの女子。

私は弟のスポーツ自転車を借りて、朝7時に出発した。
友達のほうが、背も高いし、車輪も大きく、ハンドルがヤギの角みたいに巻いてあるタイプの
スポーティーな自転車だった。


横浜まで大体45から50km。横浜のどこを目指したわけではないけど、
横浜港で「氷川丸」を見よう!ただそれだけの目的だった。


小学3年生まで横浜市に住んでいたので、当時の思い出といえば、
マリンタワー、山下公園、「氷川丸」だったんですね~。
懐かしい、おセンチな気持ちが後押しして、
なんと大冒険にでてしまいました。


行先が、母にばれたら怒られるから、
「ちょっとサイクリングに行ってくる」(笑)

帰って来るのも、友だちに迷惑をかけないように、
夜の8時までには帰宅することにした。


大丈夫、走っている電車を追えば、東京に着くのだから。
東京駅に行く青い快速は、そのまま横浜駅にも行くんだから。


って、地図は多分、友達がもってきたんじゃないかなぁ?

私のほうは、
引っ越す前は、家の建設具合を見る為に、
父に連れられて毎週のように、横浜から船橋に通っていたから、
電車からの風景が頭に入っているし!
って、やけに自信満々で、今考えると笑える。

一生懸命こいで、東京駅はあっという間についたと思う。
お昼くらい。ちょっと菓子パンをかじって、
そこから横浜までは、川崎がやたら大きくて、疲れたかな?って、
焦りが少しあったけど、2時頃?到着したはず。

ちゃんと、横浜港に行ったような気がする。(もう覚えていない)
少しの休憩と持参したおにぎりを食べて(当時コンビニはなかった)
即、帰路だ!
だって、8時には家にいなくちゃ!



今来た道をもどるだけ。
それでも、暗くなるとやっぱり道に迷うものなんですねぇ~。

夏とはいえ、夕方7時前には薄暗く、ライトを灯して走る車の量も多い。
大体の方向は合っているけど、遠いなぁ。。。
なんて思っていたら、
「あれ?車はなんでみんなあっちに行くんだろう?」
あの橋を渡れば千葉県!ってところで見つけた光の移動。


光が一列二列に並び、千葉県のほうに向かってゆく。
この流れを追えば、家に帰れるぞ!

橋のところに、柵があった。
でも、これを越えないと、あの橋を走ることはできないなぁ。
友達と協力して、彼女が自転車を持ち上げ、
私が受け取り、彼女が柵を登って降りて、自転車をキャッチ。

大きな道で、車がビュンビュン走ってる。
「やったー!これなら怒られない時間に家に着くわ」

右の白い線からはみ出さないように、こいで、こいで、こぎまくった。
しばらくすると、何人か運転手が窓を開けて、怒鳴っていた。

そんなの気にもせず、負けずにこいでいたら、
黄色い車が追ってきた。

「君たち止まりなさーい」
の声が私たちを追う。

「いやだー!!」
警察に捕まったら、親に叱られる。
その恐怖で直線こぎで、逃げまくった。

「止まりなさーい」の声に、
「なんで、止まらないとけないの?白い線の中を走っているでしょ?」
って、足も止めずに、大声で返答する私に、
おじさんは教えてくれた。


「ここは高速道路だから、自転車は走っちゃいけないんだよ。だから止まりなさーい」

へぇ、そうなんだ、知らんかった!

「ごめんなさい。知りませんでした」

車のない家で育った私は、高速道路というものの存在を理解していなかった。
見たことがないから、そういうものがあるのを知らなかったのだ。
いろんな車の運転手が窓を開けて怒っていたのは、危ないから。
私たちが危険なことをしていたなんて、全く気が付かないで、
本当にいい気になって走っていた。


「この車について行きなさい」

と、大きなお咎め(おとがめ)もなく、私たちを誘導してくれたのは
警察ではなかった。
黄色い大きな車いに追いかけられ、赤いランプの小さい車が誘導してくれた。
うちに近い出口で降ろしてくれた。

そこから、まっすぐ家に帰った。
この話は、あまり他言しなかった。
一緒に冒険してくれた友達との秘密だった。
宝を共有している気持ちでもあった。、


中学1年生の時に、自転車で90kmも遠出した自慢話なんだけど、
この高速走行をオマケで話したら、ラドママにも子供にも驚かれた。


大人になって、飲み会で話したときに、
高速を自転車で走ったことのあるのは、
私だけじゃない、ということに気が付いた。

それ以来、遠出はしたことがない。
高校は3年間自転車通学だったけど、
朝7分を全力で走り切るのが快感だった。

白いブリジストンのサイクリング車は、
車体が美しくて、宝物だった。

自転車っていいよね。

私もスロバキアで遠出しようとするなら、
ヘルメットと目立つ服装(蛍光色のベスト)を用意しないと
町外へ出られない。

そういう決まり。


みなさん、ご安心を!
もう安全運転ですから。
ホントの事を言うと、そんな体力がない!!