スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

プチ一人旅(オーストリアのウィーン) 

5月中旬はこんなに寒かったっけ?
まるで4月のような気候が続いています。


それは、朝は晴れていたのに、急に黒い雨雲がやってきて、
昼に冷たーい風が吹きだしたかと思えば、
夕方や夜中に土砂降りの雨。


起きる前に携帯を見ると、気温は6度とか4度とか。
冗談じゃない!!初夏を返してくれ~!


今年の会話でよく聞くのは、
「さくらんぼとブドウは期待できないね。」


そう、つぼみになる頃、花が凍ってしまいました。
今、庭の木には、黒ずんだ小さい実がなっています。
ブドウは、新芽が出てこないし、イチゴは花は咲いているが、実になるところが黒い。

日光よ、帰って来ておくれ。





さて、本日のタイトルは「プチ一人旅」です。


なぜ「プチ」かというと、つい1か月前に日本に一人で行ってきました。
あれは、「マジ一人旅行」だったので、今回は1泊2日の自己満旅行でした。


5月13日は、かの「マリア・テレジア」の誕生日。
それを知った私は、居てもたってもいられなかった。


スロバキアの首都、ブラチスラヴァは人口54万人。
一国の首都としてはそれほど大きくない。


しかし、はるか480年以上をさかのぼると、
現在の隣国ハンガリーの首都が1536年にブラチスラヴァに遷都され
それから約250年マリアテレジアが亡くなるまで、
ハプスブルグ家の治世の下、
首都は、プレスブルグ(ドイツ語)、ポジョニー(ハンガリー語)、プレシュプルク(チェコ語)
プレシュポロック(スロバキア語)と呼ばれる
4カ国語が使われる国際都市ができあがっていった。


250年というのは、日本でいえば、徳川家の江戸時代とほぼ同じである。


そんなわけで、現在のブラチスラヴァの旧市街は、
マリアテレジアの時代も含め、様々な年代の建物を見ることができる。
石畳で車の進入ができない歩行者天国を、旅行者になって歩くのも良し!
友人と待ち合わせして、カフェでお茶するのも良し!
書類の手続きで日本大使館を訪れてもよし!(もちろん目的があるからですよ)





opera 2016
古いほうの国立劇場前  映画「のだめのカンタービレ」で撮影されました





rybarsky gate 2016
劇場前 昔はここはドナウ川が流れ込んでいて町を行き来する門がありました





人並みもなく、ごみも落ちていない、青空が似合うかわいらしい町。
マリアテレジアが愛し、頻繁に足繁く訪れたブラチスラヴァ、
是非みなさんもいらしてください。






ととと、

ここまではコマーシャル。






マリアテレジアはブラチスラヴァが大好きだった。
それはハンガリー国民が力を貸してくれたから。



1741年3月13日に待望の男児ヨーゼフが誕生し、国内の士気は大いに上がる。しかし4月10日にはモルヴィッツの戦いで大敗する。西側を包囲された四面楚歌の状況にあって、マリア・テレジアは東方のハンガリーに救いを求める。ハンガリーは異民族であり、心情的には長年対立していた。マリア・テレジアは夫と子供たちを伴いプレスブルク(ブラチスラヴァ)へ赴き、6月25日にハンガリー女王として即位した。美しく力強い女王の姿は、好印象を与えた。ここでハンガリー議会(等族議会)と交渉を開始する。9月には幼いヨーゼフを抱き「この子を抱いた私を助けられるのはあなたがただけなのです」と演説[14]。数か月にも及ぶ折衝の末、ハンガリーは「我々は我が血と生命を女王に捧げる」と誓約し、特権と引き換えに資金と兵力を差し出した[15]。ハンガリーは、後世までオーストリア軍の主力として勇名を馳せることとなる[16]。ウィキペディア「マリア・テレジア」より抜粋

↑これは現在のブラチスラバの事なんですよ。





マリアテレジアは、ハンガリー貴族に頻繁に首都に来ると約束をしたので、
社交の場を設、舞踏会を開いた(現在のブラチスラヴァにある大統領公邸)
President p 2016






愛娘をブラチスラヴァ城に住ませ、息抜きにわざわざウィーンから訪問し、
城にも自分のために、ロココ様式の住居を構えた。
BA hrad 2016





こうやって、国王と皇后はやって来ることで、ブラチスラヴァは発展し
華やかな黄金時代を迎えることになった。
man at work 2016









やっと本題に入れます!!


「プチ一人旅」の目的は
マリアテレジアのお墓参り。



母の49日も終わらぬ身ではあるが、
5月13日はマリアテレジアの誕生日だというのを知り、
とある案が頭に浮かんだ。
マリアテレジアのお許しをいただこう。
そして、ブラチスラヴァの黄金時代を築いてくれたお礼をいわなきゃ。


はるばるウィーンへ行く事にした。


家族には「ちょっと息抜きさせてくれ~」と言い残すと、
娘のサラは心よく送りだしてくれた。(感謝)


目指すはカプツイーナ納骨堂←クリックしてね。
ウィーン旧市街のど真ん中。ケルトナー通りの一本隣の道。


見つけました!マリアテレジアの棺桶。
大きな石造で横にはこんな彫刻がありました。





BA in maria terezia
戴冠式が行われた町ブラチスラヴァ 四角い城とセントマルティン大聖堂が見える





taikan shiki in maria terezia
多分、ブラチスラヴァのセントマルティン教会プラハ城での戴冠式の様子





turky in maria terezia
トルコ軍がブラチスラヴァを襲おうとしている様子 
実際ここまで来たのか?(ドナウ川の向こうまで町には侵入していないはず)
トルコ軍の兵士が見える


教会の地下にあるいくつかの巨大な部屋にハプスブルグ家の棺桶が並んでいた。(墓石ではない)
もちろん、マリアテレジアとフランツ1世の石造の棺桶は、
天上の高くフラスコ画のかかれた聖堂のような作りになっている場所にあり、
天使が冠を持っていた。





maria a Franz in maria terezia
恋愛結婚で幸せな夫婦として現在までも語られている二人





かの有名なエリザベート(シシィー)のとフランツ皇帝の墓もあった。
ここ一角だけが、少し異様だが、その長男で自殺を図ったルドルフの棺桶も
同じところにあった。



ナポレオンの妻となった、マリールイーズの棺桶もあった。
彼女のお墓は少し大きく、一人だけポツンと置いてあった。





私は霊感とか強くないので、何も感じませんでしたが、
一緒に行ったウィーン在住のお友達は「もうそろそろいいんじゃない?」と。
何か息苦しさを感じたそうです。
他のブログを見ると、そんなことを書いている人もいるようですね。





そして、意外なのですが、期待以上にすごかったのは、
マリアテレジアの父上、カロル6世の棺桶でした。

karol 6 in maria terezia
彫金?豪華絢爛!天使もいれば骸骨もあり 多くの戦争を戦い抜いた歴史が称えてありました

この写真は色合いが良く見えませんが、多分すべてが銀だったように思えます。
対面には皇女のエリザベート・クリスティーネ(カール6世の奥方)の同様の棺桶がありました。

マリアテレジアを産んだ方ですからね。母は偉し!
また、マリアテレジアの多産も有名ですが、
ブラチスラヴァに住ませた四女の愛娘クリスティーネだけには
自分と同じく恋愛結婚を許しましたが、
日本でも有名なマリ―アントワネット、他の子供たちには政略結婚をさせました。



みなさん、青字をクリックするとウィキペディアが出てきます。
週末にでも、ちょっとウィーンにウエブ旅行にいってらっしゃい!!

長文の旅、お付き合いありがとうございました。
関連記事

コメント

Re: MIKOさん

MIKOさん

こんにちは!

再コメントいただいたのに、返信が遅くなってしまいごめんなさい。
よろしければ、左のほうに「メールフォーム」から、私宛にメールを書いていただけますか?
他の人には見えませんから、ご安心を!

息子と連絡が取れるように、連絡先をお知らせしますので、
どうぞメールでお名前と、ブラチスラヴァでの連絡先などがわかっていれば、
教えてください。

よろしくお願いします。

コメントありがとうございます。

ポンセ

ご返答ありがとうございます<(_ _)>

このオペレッタの舞台のダンサーたちを取りまとめている責任者であり、私にこのオーディションの話を持ちかけてくださった方がスロバキア人の方なんです。それでその方が持っているブラチスラヴァのアパートを貸していただくことになりました。練習もスロバキア国立劇場でしてますので(*^_^*)

舞台はメルビッシュ湖上音楽祭(Seefestspiele Mörbisch)で演目は『ヴィクトリアと軽騎兵』です!

息子さん日本語を話されるんですね!
私としてはとても頼もしいです・・・
きっと困ることだらけだと思うので(笑)もしご迷惑でなければ連絡させてください!日本人大学生の方も探してみます・・・
日本食とともに頑張ります!!

Mikoさん

はじめまして!

こんにちは!!オーストリアのオペレッタに出演するのに、スロバキア(多分ブラチスラヴァですね)に滞在とのこと。

お家賃の問題なんでしょうかね?
ちょっと興味があります。

そして、どこの劇場のどんな演目に出演されるのですか?

よろしければ、ぜひこちらで宣伝させてくださいね。


それから、もしも何か困ったことなどがありましたら、うちの息子(20歳)もブラチスラヴァにいますので、どうぞ連絡してください。

日本語も話しますよ。(ちょっとたどたどしいですけど)何かの役に立てるかもしれませんので、遠慮なく!!

大学にも日本人がいるそうです。

日本の「海苔」とか「梅干し」とか、大好きな食べ物をしっかりと抱えて、
頑張ってくださいね!

コメントありがとうございます。




はじめまして!過去の記事も色々と拝見させていただきましたがスロヴァキア愛がひしひしと伝わってくるような素敵なブログだなぁと思いました(^^)
突然の私事で申し訳ないですが、実はこの夏にオーストリアであるオペレッタの舞台にダンサーとして出させていただくことが決まり、来月から3ヶ月間スロヴァキアに滞在することになりました。しかしまだ高校を卒業したばかりの18歳で、英語は少し話せるもののスロヴァキア語はあいさつ程度しかできません。自分で行くと決め現地でオーディションを受け、無事に合格したものの、、、今となってはこれからの生活に不安ばかりです。
主様のブログを見つけたときは、スロヴァキアで頑張ってる日本人の方もいるんだ!と少し勇気をもらえました。ありがとうございます!

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://sukisukislovakia.blog135.fc2.com/tb.php/402-3653af93

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。