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「スロヴァキア熱 言葉と歌と土地」 石川晃弘著 

小中高を通しての苦痛といえば、夏休みの宿題の読書感想文だった。

それなのに、石川先生のお書きになった

「スロバキア熱 言葉と歌と土地」


の感想を書く気持ちになったのは、
スロヴァキアの観察を継続されている、
その忍耐強さを称えたいからだ。


この本は2006年に初版発行。
ということは、もう10年前に出版されていたのか。

なぜ?私の手元に今頃たどりついたのだろうか?
もっと早く知っておいても良かったはずなのに。














石川先生の名前は、ずいぶん前から風の噂で聞いていた。

かれこれ20年前だったか?
近重亜郎さん(当時は若い学生さん)と、日本大使館で行われた新年会でお会いし、
東スロバキアのプレショウ大学で、ルシン民族の研究をしていると伺った。

彼の教授が石川晃弘先生だというのを、後々知ることとなる。

その当時は、まだ今のように、インターネットでなんでも知ることができる時代ではなく、
「石川さん」といえば、私の知っている世界では、宇都宮のスロヴァキア好きの石川英一さんでしかなかった。

その石川英一さんだって、今や在日本のスロヴァキア名誉領事である。

話を戻すが、

石川晃弘先生には、実はまだお会いしたこともない。
10年以上も前から、お名前だけは知っていた。
今年に入って、巡り巡って、やっとつながることができた!
そして、チャンスあらば、ぜひお会いしたい!!

スロヴァキアについて語り合いたい!!!


著者は、私が生まれる前に、スロヴァキアに足を踏み入れた先人である。

スロヴァキアに本拠地を置いたわけでもないだろうに、
実に、国というより、民族を良く知りつくしている。

それだけ、足繁く通い続けた、ということがわかる。

「「スロヴァキア熱」は、テーマが13章に分かれている
素晴らしい点を書き留めておきます。


第1章
歴史の流れや、周辺国の特徴をよく捉えているので、
他国との比較が理解しやすい。

第2章
民族については、島国の日本人には理解しにくい問題に触れていますね。


第3、4章 
音楽、民謡を通して、日本との文化的な違いがわかる。

日本に紹介されている
「おお牧場はみどり」の訳の内容から、
国民性の特徴を説明している。
私もそう思っていた。頷く。

未だに、スロヴァキアは、
「共産主義だった貧しい国」

という印象を持っている日本人も多いはず。

しかし、本当は歌と踊りが大好きで、どちらかといえば、
明るくラテン系?と錯覚してしまうような、

前向きで、明るく、健全なものの考え方をする民族だという真髄を、
しっかりと見透かしている。


石川先生、すごいですよ!!




以降の章は、いろいろな人との出会いがあったり、
調査、観察しているのが良くわかります。

第5章
生活と価値観は、夫が言う通りの言葉が並んでいます。

スロヴァキア人が大切にしているのは、金でも富でもないのです。
石川先生の周囲も、素朴な人が多いのでしょうね。
私の周囲と同じ価値観なのです。

そうそう、公共の交通機関に乗る都度、席を譲ってもらったのを思い出しました。
子供と一緒に乗ると、カバンから飴やバナナを出して、子供をあやしてくれる、
魔法使いのおばあさんに出逢ったり、
昇降口まで降りてきてベビーカーを持ち上げ載せてくれる若者に、何度も助けてもらったなぁ。





古き良き時代ばかりが書かれているわけではなく、
現在の変化も記されているので、それにも頷ける。
都会の生活、個人主義を受け入れだした。


それでも、
「大多数の人々が支持している価値は、富、金銭、権力、地位といった実利的価値よりも、
愛と家族と道徳であり、労働と教育である。」

と書いてある。私の周囲はまさにこの通りだ。





このブログの名前でもありますが、
私はスロヴァキアが好きなんですよ。


「なんでスロヴァキアが好きなんだ?」


と聞かれたら、

それは、この「スロバキア熱」に詰まっているんです。
ぜひ、読んでみてください。


そう回答しておきましょうかね?!


スロヴァキアが好きなんて、マイナーな変人、私だけじゃないんだ。
うふふ。


石川先生が、スロバキアではなく、スロヴァキアと表記したことに、感服。


それから先生、
「スロヴァキア熱」というより「スロヴァキア愛」ですね

柔軟な先生の「心」と「頭」に感謝です。
素敵な本を、この世に送り出してくださり、ありがとうございます。


ぜひ、お会いしましょう!!



ポンセより。

9月13日(水)レボチャにて 日本人演奏者によるオルガンコンサートがあります!! 

前日の緊急告知ですみません。
なんでもそうですが、善は急げ!
肝に銘じて、このブログを書いています。

では、まずコンサートのお知らせから。

koncert-676x932.jpg

来る9月13日(水)それは明日です!

私の大好きなスロバキアの町、レボチャ(Levoča)にて、オルガンコンサートがあります。
そして、演奏者はなんと!日本人の米沢(鏑木)陽子さんです。
演奏は、旧姓の米沢で活動されているそうで、表示もローマ字で2つの苗字が表記されています。

現在は東京純心女子大学の教授で、カトリック山手教会(横浜教区司教座聖堂)及び、
カトリック聖アンセルモ目黒教会オルガニストとして活躍中です。


今回、旅行手配でお世話をすることになり、いろいろと背景をうかがい、
驚きと感動が入り交じった。

なんと1991年に、スロヴァキアの3か所で、オルガン演奏をしたそうだ。

私が初めてこの国に入ったのは、1989年の5月。まだチェコスロバキアだった。
これは仕事で、添乗員のアシスタントとしてハンガリーやチェコを旅行しただけ。
あの時に風景を考えると、陽子さんにとっても一生の思い出に残る旅行だったに違いない。

特に名前を記しておくべきは、
演奏だけでなく、円滑に旅行できるようにスロバキアの教会関係者に連絡を取った、
リュドヴィット・スカーン神父様。←スロバキア語ですがぜひクリック!!

2005年に日本の別府で亡くなっていますが、この↑のホームページによると、
1998年にスロバキア共和国文化省より、日本のスロバキア宣教師3名がキリスト教、ヒューマニズム、
スロバキア文化の普及を長期的に普及させた功績として、銀メダルを授与された。
そのうちの一人がスカーン神父様でした。


そして、今回の陽子さんのコンサートは、いろいろな方々の温かい協力により、
紆余曲折を経ましたが、それでもとんとん拍子に決まりました。(私の感想です)


1991年の演奏旅行について、
陽子さんは「スロヴァキアのオルガン事情」という文章を書いている。
この内容を皆さんにご一読して欲しい。




コンサートのプログラムは上記の通り。
演奏は明日。
素晴らしいものに違いない。





自転車と私 

昨日に続いて、本日も連投!!

なんだか眠れないので、こんなことを書いてみようかと思い立った。
もしかして、この話、以前にしたかもしれないけれど。



今日、次男坊のナタンが「自転車で遠出がしたいなぁ。」とつぶやいた。
スロバキアでは、子供同志で隣村まで行く事はできない。

「町(村)を出ました」の意味で、町名(村名)に赤い斜線が引いてある看板から、
車のスピードが時速50kmから90kmに上がる。

ビュンビュン飛ばす車の横を自転車を走るのは、とても危険。
自転車も車両として、町を出ると、車と同じルールで走る。

だから、町の外を走ることができるのは、15歳から。
大人が一緒なら可能なのだが、同級生と一緒にサイクリングで遠出はできないのだ。

そっか、スロバキアって、そういうところが不便なんだ。
と、今のナタンと同い年だった自分ことを思い出した。


当時の船橋はとても田舎で、飽き飽きしていた私は、
夏休みに暇を持て余し、


「そうだ、横浜に自転車で行こう!」と思い立った。

一緒に行ってくれる友達は、仲良しクラスメートの女子。

私は弟のスポーツ自転車を借りて、朝7時に出発した。
友達のほうが、背も高いし、車輪も大きく、ハンドルがヤギの角みたいに巻いてあるタイプの
スポーティーな自転車だった。


横浜まで大体45から50km。横浜のどこを目指したわけではないけど、
横浜港で「氷川丸」を見よう!ただそれだけの目的だった。


小学3年生まで横浜市に住んでいたので、当時の思い出といえば、
マリンタワー、山下公園、「氷川丸」だったんですね~。
懐かしい、おセンチな気持ちが後押しして、
なんと大冒険にでてしまいました。


行先が、母にばれたら怒られるから、
「ちょっとサイクリングに行ってくる」(笑)

帰って来るのも、友だちに迷惑をかけないように、
夜の8時までには帰宅することにした。


大丈夫、走っている電車を追えば、東京に着くのだから。
東京駅に行く青い快速は、そのまま横浜駅にも行くんだから。


って、地図は多分、友達がもってきたんじゃないかなぁ?

私のほうは、
引っ越す前は、家の建設具合を見る為に、
父に連れられて毎週のように、横浜から船橋に通っていたから、
電車からの風景が頭に入っているし!
って、やけに自信満々で、今考えると笑える。

一生懸命こいで、東京駅はあっという間についたと思う。
お昼くらい。ちょっと菓子パンをかじって、
そこから横浜までは、川崎がやたら大きくて、疲れたかな?って、
焦りが少しあったけど、2時頃?到着したはず。

ちゃんと、横浜港に行ったような気がする。(もう覚えていない)
少しの休憩と持参したおにぎりを食べて(当時コンビニはなかった)
即、帰路だ!
だって、8時には家にいなくちゃ!



今来た道をもどるだけ。
それでも、暗くなるとやっぱり道に迷うものなんですねぇ~。

夏とはいえ、夕方7時前には薄暗く、ライトを灯して走る車の量も多い。
大体の方向は合っているけど、遠いなぁ。。。
なんて思っていたら、
「あれ?車はなんでみんなあっちに行くんだろう?」
あの橋を渡れば千葉県!ってところで見つけた光の移動。


光が一列二列に並び、千葉県のほうに向かってゆく。
この流れを追えば、家に帰れるぞ!

橋のところに、柵があった。
でも、これを越えないと、あの橋を走ることはできないなぁ。
友達と協力して、彼女が自転車を持ち上げ、
私が受け取り、彼女が柵を登って降りて、自転車をキャッチ。

大きな道で、車がビュンビュン走ってる。
「やったー!これなら怒られない時間に家に着くわ」

右の白い線からはみ出さないように、こいで、こいで、こぎまくった。
しばらくすると、何人か運転手が窓を開けて、怒鳴っていた。

そんなの気にもせず、負けずにこいでいたら、
黄色い車が追ってきた。

「君たち止まりなさーい」
の声が私たちを追う。

「いやだー!!」
警察に捕まったら、親に叱られる。
その恐怖で直線こぎで、逃げまくった。

「止まりなさーい」の声に、
「なんで、止まらないとけないの?白い線の中を走っているでしょ?」
って、足も止めずに、大声で返答する私に、
おじさんは教えてくれた。


「ここは高速道路だから、自転車は走っちゃいけないんだよ。だから止まりなさーい」

へぇ、そうなんだ、知らんかった!

「ごめんなさい。知りませんでした」

車のない家で育った私は、高速道路というものの存在を理解していなかった。
見たことがないから、そういうものがあるのを知らなかったのだ。
いろんな車の運転手が窓を開けて怒っていたのは、危ないから。
私たちが危険なことをしていたなんて、全く気が付かないで、
本当にいい気になって走っていた。


「この車について行きなさい」

と、大きなお咎め(おとがめ)もなく、私たちを誘導してくれたのは
警察ではなかった。
黄色い大きな車いに追いかけられ、赤いランプの小さい車が誘導してくれた。
うちに近い出口で降ろしてくれた。

そこから、まっすぐ家に帰った。
この話は、あまり他言しなかった。
一緒に冒険してくれた友達との秘密だった。
宝を共有している気持ちでもあった。、


中学1年生の時に、自転車で90kmも遠出した自慢話なんだけど、
この高速走行をオマケで話したら、ラドママにも子供にも驚かれた。


大人になって、飲み会で話したときに、
高速を自転車で走ったことのあるのは、
私だけじゃない、ということに気が付いた。

それ以来、遠出はしたことがない。
高校は3年間自転車通学だったけど、
朝7分を全力で走り切るのが快感だった。

白いブリジストンのサイクリング車は、
車体が美しくて、宝物だった。

自転車っていいよね。

私もスロバキアで遠出しようとするなら、
ヘルメットと目立つ服装(蛍光色のベスト)を用意しないと
町外へ出られない。

そういう決まり。


みなさん、ご安心を!
もう安全運転ですから。
ホントの事を言うと、そんな体力がない!!




捨てる神あれば拾う神あり 

今年のスロヴァキアの夏は、
なんだか日本の天気と連携プレーのような天気で、
不思議が多かった。


日本が20℃の涼しいの雨なら、こちらも涼しく13℃の雨。
日本がジメジメ蒸し暑い37℃のジリジリ日射なら、
こちらも乾燥強烈ピカ―っと強い35℃のパリパリ日射。


Lineを通して、友人が日本の夏情報を教えてくれる。
確かに暑そう。でも、、、正直言うと、羨ましかった!!

スロバキアの乾燥よりも、
日本の湿気が私は好きだ!!


日本に住む皆さんには苦痛でしょうが、
あの湿気による「ムーっ」が、まるでミストサウナのよう(うっとり)
湿気が太陽からの直撃光線にバリアを張って、守ってくれているような、
優しさにすら感じてしまうのだ。

*ポンセ何言ってるの?頭大丈夫?って、思うでしょ?

でも、スロバキアに住んでいる人なら、この意味わかってもらえるはず。
本当に日差しが強くて、干からびてゆく顔には、くっきりとシワが見えてきた。
ああこわい。




さて、本題ですが、

先日、三男坊のべんちゃん(10月末で6歳になります)が自転車に乗り、
私が歩きながら坂道を下っていた時、こんなことがありました。



「ねぇ、あなた自転車持ってる?」



近所の人に呼び止められ、


いや~、昔は持っていたんですけど、
引っ越の際に、知人にあげてしまい、それっきり。

チェコスロバキア時代の自転車ならあるけど、
車体が重たくて、乗りにくいからガレージに眠ってます。


「あたし4台あるから、1台あげるわよ。」

ええ~??
そんな平然と嬉しいこと言わないでよ。
マジ??超ウレシイ






sagan.jpg
自転車といえば、サガン選手!!





この声をかけてくれた人は、地元の高校の体育の先生で、
娘も授業を受けていますが、特筆すべきは、
夫やその妹、弟たちが、高校生の時からお世話になっているということ。

「電動自転車を買ったの。自転車4台もいらないから。」

との理由で、走り屋っぽい自転車をいただきました。

買い物、子供との散歩にとても重宝しています。
大感謝です。




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スロバキアにあるシャトーホテルの庭園





実は、その10日くらい前に、7年ほど使用していた思い出のTシャツを捨てました。


ペジノックに住んでいた時は、子育て真っ最中で、よっぽど貧相に見えたのかな?
ベトナム人の洋品店をしているご夫婦が、
娘さんのお下がりをうちのエステルに。
そして、私には、Tシャツとズボンを持たせてくれた。(これも古着)

自分じゃ絶対に買わない類のものだけど、ズボンは畑仕事用に、
大きなTシャツは、パジャマとして使えそう。

多分、中国製ではなく、ベトナム製だったのかも?
質の高い綿100パーセントで、着心地がよかった。

ベトナムで生活していた時に、HONDAの工場で働いていて、
日本人はいい人ばかりだったよ!
って。

だから車もHONDAのアコードに乗っていたなぁ、この人たち。
今でも元気かな?


スロヴァキア語がほんのちょっとしか話せなくて、語彙もなくて、
子供の散歩の時に言葉を交わしたり、近所の人と挨拶したり、
右も左もわかんないけど、毎日があっという間に過ぎていたなぁ。

いろんな人から、いろいろなものをもらった。
子供の古着だけじゃない。生きる知恵、温かい気持ち。

古着は「不要です」
なんて言えなくて、なんでももらっていたなぁ。


子供のパンツ(古着)まであった時は、あまりにもカルチャーショックで、
夫のラドに捨ててもいいの?と、相談した。
こういうものを他人にあげるかな?という感覚の違いから、
友達を止めたほうがいいのか、真面目に悩んだ。
融通がきかなかったんだね、私。



その「青い時代」にもらったTシャツが、はずみで破られてしまった。
捨てなくてもよかったのかもしれないが、見るのが嫌で、
でも雑巾にするのも嫌で、ビニール袋に入れて捨てた。

Tシャツをくれた人との別れのような寂しさ、
「青い自分」が壊されたような悲しみが、
いつまでも心に残っていた。


そんな時に、欲しかった自転車が手に入った。
物じゃない、ご近所さんの視線が嬉しかったのだ。


頭に浮かんだ言葉がこれだった。



捨てる神あれば拾う神あり
見捨てられることがあっても、一方で助けてくれる人もいる。
たとえ不運なことや困ったことがあっても、悲観することはないというたとえ。


私の心を拾ってくれてありがとう。

サガン失格!7月が終わってしまった。。。 

サガンといえば、
「悲しみよこんにちは」
なんですが、

???ですよね~。
サガンといえば、
スロヴァキアが誇る、自転車ロードレース、昨年の世界王者、
Peter SAGAN
sagan.jpgEFE / OLIVER WEIKEN


この人しか、考えられない今日この頃。


去る、7月4日の悪夢をなんとか払いのけ、
頭では分かっているものの、
どうしても、テレビで「ツールドフランス」を観る気が起こらない。

こういう、ショック!を受け入れるのに、時間がかかりますね。
これもまた、大人(おおおとな)になってゆく過程なのかな?なんて、思ったりします。



はてさて、本題のサガン選手ですが、
何皆さんご存じですか?7月4日の悪夢を!!
     







これは、ゴール寸前に起きたもの。


我が家は、娘がイギリスの親戚の家で夏休みを過ごすため、
ブダペストの空港まで見送りに行き、
帰宅途中の車の中、ラジオの実況中継を聞いていました。

手に汗握りながら、

「転倒です、、、、サガンは、、、あっ、2位です、2位に入りました」
実況レポーターの興奮も、不安もそのまま音声に表れていました。

この前日、ツールドフランス3日目には、サガンは1位でゴールしていました。
そして、4日目の結果、総合3位につけ、
スプリンターの栄光のグリーンジャージに、
やっと袖が通せるところでした。

実況より30分後くらい、ニュースでサガンに対する審判からの決定が伝えられた。
カベンデイッシュ選手にエルボーを食わせた反則行為により、(肘で壁のほうに押したということです)
ペナルティ―として、秒数の加算。順位の引き下げ。



それより、また30分もしないうちに、(だったと思う)
なんと、危険行為への罰として、今期ツールドフランスの出場禁止が
決定したとのこと。

そう、失格処分になってしまいました。
    


うっそだろう???あり得ない!!


ブダペストから家まで、あと1時間くらいなのに、道の工事をしていて、渋滞20分。
あ~、早く確認したい!!


家に着いて、速攻、画像にかじりつき。
こんな分析映像が、すぐにアップされていた。
タイトルは「サガンは完全に潔白だ!」








このビデオの解釈もそうですが、ツールドフランスという大舞台は、
企業の戦略だけでなく、国の戦いの場でもあるようだ。

実際に上位を争うのは、スポーツ企業チームで、
選手たちは、多国籍で編成されている。
サガンはスロヴァキア人だが、ドイツの企業に所属し、
こうやって、試合に勝つために、自分の兄を同じチームに所属させ、
牽引係りにしている。
選手達には、それぞれ特徴に応じた役割がある。



そして、この4日目の約5時間の走行で、
最後の40秒は、スプリンターと言われる、
高速走行が得意な、選手たちの小競り合いの末、
勝者は、フランス人のデマーレ選手になった。

巷でささやかれている、サガン寄りの裏事情は、
「もっともだ~、あーもっともだ♬」
と、歌いたくなるような、そして、
凄い想像力だわなぁ、、、

とあきれてしまうような話だった。

チャンスあれば、私も知りたい。
サガン選手の危険行為は、エルボーというが、

このビデオで、デマーレ選手はいきなりルートを変えて、
人の前に出て、後ろの選手の車輪を揺らしたが、これは反則じゃないのか?

サガン選手は、このデマーレ選手の後ろを追って行ったところ、
横からカベンディッシュ選手が、我も!と倒れ込んできたように見える。

そこで、バランスを崩さないように、倒れてきた相手を押し返しただけじゃない?


皆さん、時速60kmとかの世界ですよ!!
反射的に体が動いてしまう、危険を回避する本能、
レーンを変えるのもこのスピードで行われるんです。

このスポーツ自体、そういう危険を伴る競技であるわけで、
本能を否定するなら、この先頭グループでちょこちょこ動いたフランス人にも
ペナルティ―を課すべきなんじゃないかな?と考えます。



もちろん、これがやられた側なら、
「ふざけんな!アブナイ!!反則行為だろ~」と言いたくなるかもね。




まあ、日本じゃ話題にもならないだろうし、
ここで、怒りを示したところで、決定は覆ることはありませんが、
2012年から出場しているツールドフランスで緑のジャージに袖を通さず、
退去命令が出てしまったのが、実に残念なんです。


世界の多くのファンは、「サガンのいないツールドフランスなんてxxx」と
SNSで動きがあったり、スロヴァキアのニュースでも緊急企画で
本当に反則なのか?分析がされていました。



とにかく、毎年恒例の楽しみが終わっちゃいました。
7月が無くなってしまった気分なんです。

やっと、ショックを受け入れられる状態になったので、
ブログに記すことにしました。

暑い夏が始まっております。
皆様も元気におすごしください。


















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